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2016/05/17■周辺の「道の駅」及び観光名所

■周辺の道の駅
●信濃路下條


豊かな自然と温泉の下條
 平成2年に湧出した天然温泉を生かした入浴施設「コスモスの湯」は、中央・南アルプスと伊那谷を一望する眺望絶景の日帰り温泉です。
 駅の「そばの城」では、村の特産品である親田辛味大根を薬味にしたそばを味わえるほか、そば打ち体験にもチャレンジできます。
■周辺の観光名所
①名水観音霊水

  長野県南部の山深く、飯田市南信濃(旧 下伊那郡南信濃村)龍淵寺の境内に湧き出る天然水が、「観音霊水」です。
 この湧き水は、かつて地域一帯を支配していた豪族遠山氏により整備されました。
 以来、450年以上の長きわたり、生活用水や農業用水として利用されてきました。
 ミネラルたっぷり!近年の水質検査により、カルシウムとマグネシウムの含有量が非常に高いことなど、
 国内外の名水と呼ばれるミネラルウォーターと比較しても遜色ないことが判明し、
 インターネットや新聞、テレビで取り上げられるなどして一躍有名になりました。
  自然が生んだ奇跡の名水 龍淵寺発行の会報誌「青龍寺だより」で、この観音霊水について詳しく解説されています。
「大自然からの素晴らしいプレゼント。このすぐれた水環境を次の世代に受け継ぐためには、
 "水と共に生きる"をテーマに、環境保全に対する深い理解と協力が必要です」。
 大自然の奇跡が生んだ観音霊水をぜひ一度味わってみませんか?
 ~アクセス~ 中央道・飯田IC/松川ICから80分
②和田城
遠山郷土館[和田城]
 遠山郷土館[和田城]は、南信濃村和田の街をのぞむかつての和田城跡地にあります。
 戦国時代、この地の領主であった遠山氏の 当時の栄華を偲び、「和田城」の再現を図ったものです。
  伝統芸能をマルチビジョンで紹介し、 霜月まつりに使う面の複製面を200点余り展示するなど、
 芸能文化の里にふさわしい施設となっています。 野外には、遠山土佐守・徳川家康対面像があります。
 館内には霜月まつりの面が展示してあります。
④戦国時代と遠山氏
  英雄雲のごとく起こった戦国争乱の時代、この地に本拠を構えた豪族遠山氏は、
 遠山六ヶ村のほか、大河原、鹿塩、福与、部奈及び上伊那の赤穂を合わせ三千五百石を領し全盛を誇っていました。
  なかでも二代領主遠山土佐守景直は機略に優れた人物で、徳川家康に従い大阪冬夏の両陣に出陣し戦功がありました。
 土佐守が元和元年和田城に没すると嘉兵衛景重が領主を継ぎましたが、
 病弱のため早逝し、子がなかったので同族の間で相続争いが起こり、領民もまた二派に分かれて不穏の状態となったので、
 徳川幕府は一家不取締の理由をもって領地をことごとく没収し、徳川直轄の地としました。
  一説には百姓一揆が引き金となり遠山氏は滅んだとの史家の有力な論証もあります。
 いずれにしても、遠山氏の栄華は三代で終わり、一族思い思いに離散して、その最期は憫れであったと言われています。
~遠山氏の家紋~
  その昔、遠山土佐守が岡崎に出て、徳川家康に初めて謁見した時のこと。
 土佐守は食事をする時、左手で茶碗を隠すようにして食べ、しかも食事が終わると二本の箸を、茶碗のへりに渡しておきました。
 家康が不思議に思い尋ねると、「遠山谷の習慣です。遠山は山と谷ばかりで、田が少ないので米がとれません。
 ですから、上下を問わず領主の私も、麦または粟などを常食としております。
 それゆえに貴い人の前で食事をするときは、これ恥ずかしく隠してしまう習慣がございます。
 先ほどはお見苦しい不作法をつかまつり、誠に失礼いたしました」と述べたそうです。
  翌日、家康から「昨日、その方が申し述べたこと如何にも気の毒である。よってこれから上穂領(上伊那)千石を増加し、
 その方の家紋を、その茶碗のかたちに型どり、このようにいたすがよい」とお言葉を賜りました。
  面目を果たせた土佐守は、それ以来この家紋を使用するようになったと伝えられています。
⑤カフェ和田城
 
城内に「カフェ和田城」がオープンしました。
 平成の名水百選の観音霊水を使ったコーヒーを提供しています。
 是非ご利用ください。

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